『TOP GUN: MAVERICK』について語る:ニワカが調べた小ネタ集その4(時系列編)

トップガン』の作品中では劇中の年月日についてあまり明言されていないのですが、明示されている要素と示唆されている要素から、時系列を推測してみました。

以下、『TG』は映画『トップガン』劇中で、また『TGM』は映画『トップガン マーヴェリック』劇中でそれぞれ語られた(示唆された)内容です。斜体はセリフ。英語を聞き取ったもの、日本語字幕、日本語吹替のどれかから引用しています(『TGM』の方は記憶を頼りに…)。

過去〜『トップガン』直前まで

19??年(1960年前半?)
ピート・ミッチェル(後の"マーヴェリック")が産まれる。
※下記の父親との記念撮影から推測するに、1960年台の前半生まれと思われる。ファンサイト「Top Gun Wiki」では「1962年生まれ」と明記されていますが、出典は見つけられず…。

1965年9月(『TG』)
デューク・ミッチェル(マーヴェリックの父親)とマーヴェリック親子がアメリカ海軍F-4ファントムⅡ(?)の前で記念撮影。写真に年・月のメモあり。

1965年11月5日(『TG』)
F-4に搭乗していたデューク・ミッチェルがヴェトナム戦争で行方不明となる(チャーリーとの会話にて日付入りで語られる)。
その詳細は機密扱いで、息子であるマーヴェリックも知らずにいたが、トップガンでマーヴェリックの教官となった"ヴァイパー"が当時デュークと同じ部隊(VF-51)に所属しており、デュークが味方を助けるため戦死したこと、ヴァイパーもその場に居たことをマーヴェリックに明かす(『TG』劇中にて)。
なお、1965年当時のVF-51は実際にはF-4を運用しておらず、F-4を擁するようになったのは1971年とのこと。

1968年1月8日
Otis Redding "(Sittin' on) The Dock of the Bay"のシングル、リリース(本曲収録のアルバム"The Dock of the Bay"は同年2月リリース)。
マーヴェリックの母がこの曲を好んで繰り返し聴いていたとのセリフがある(『TG』)。
なお、マーヴェリックの当該セリフ("My folks loved it")は直訳すると「うちの家族がこれを好きだった」だが、日本語字幕では「おやじとお袋が好きだった」とされているものがある。実際には父・デュークの死後のリリースなので、この字幕は誤りと思われる。
ちなみに、Otis Reddingは本曲を録音後、リリース前に飛行機事故で亡くなっている(1967年12月)。

1969年3月3日(史実)
アメリカ海軍戦闘機兵器学校(通称:トップガン)、創設。

1980年台?(『TG』)
マーヴェリックが「司令官の娘(=ペニー・ベンジャミン)」と出会い、手を出す(付き合いの詳細は不明。『TG』劇中では司令官"スティンガー”中佐が"high speed passes over (中略) admiral daughtor"と表現)。

トップガン』劇中

1986?年="Present Day"(『TG』)
『TG』の物語における現代。『TGM』劇中の集合写真によると1986年らしい(写真に”07 86”の印字あり)。なお作品の公開年も1986年(5月16日*1)。
マーヴェリック&"グース"(ニック・ブラッドショー)、トップガンでの訓練に参加。トム・"アイスマン"・カザンスキーらと同期となる。
グース、事故死。息子のブラッドリー・ブラッドショー(後の"ルースター")は当時3歳ほどか(→1980年台前半生まれ?)。
劇中終盤、実戦で活躍したマーヴェリックは、スティンガー中佐から「上層部は君の望む進路を取らせると言っている」「どこへ行きたい?」と聞かれ、「トップガンで教官をしたいです」と話す(Maverick "I thought of being an instructor, sir" Stinger "TOP GUN?" Maverick "Yes, sir")。

トップガン』以降〜『トップガン マーヴェリック』直前まで

1988年(『TGM』)
ボー・"サイクロン"・シンプソン(後の中将)がトップガンを首席で卒業(ソロモン・"ウォーロック"・ベイツ少将のセリフより)。

〜時期不明:TGMの約30年前=1980年台後半?〜(『TGM』)
マーヴェリックが(『TGM』の)トップガンで教官を務める。『TGM』では「2ヶ月だけ」であったことがサイクロンやベイツとの会話で、また教官職が長続きしなかった理由がアイスマンとの会話で示唆される。

1991年(史実)
湾岸戦争。マーヴェリックの実戦参加の有無は不明。

1994〜1995年(『TGM』)
マーヴェリック、F-18(複座機であるはずだが、当時存在したB型/D型のいずれであるかは不明)でペニーを乗せて飛んだことがばれ、ボスニアNATOが1994-1995に空爆を実施)送りに。シャーロット・“チャーリー”・ブラックウッドとの交際(『TG』劇中)を挟み、マーヴェリックとペニーの交流は再開していたことになる。

1996年(史実)
トップガンネヴァダ州ファロンに移転。トップガンが所在していたミラマー基地は海兵隊基地となった。

2003年〜(『TGM』)
イラク戦争。マーヴェリックが参加していたことがペニーのセリフで示唆される("Iraq, both times." 『TGM』)。

2014年(『TGM』)
米軍、ISのイラク支配地域に空爆を実施。ペニーの上記セリフうちの2回目はこれを指すと思われる。

2010年台後半:『TGM』の約3年前(『TGM』)
ペニーとマーヴェリックが再度交際。ペニーの娘:アメリア(と愛犬:セオ)も既に居たのでマーヴェリックとは顔見知りとなる。TGMではアメリアに「Captain(大佐)? Still?」と言われていることから、この時点でマーヴェリックの階級は既に大佐(もしくはそれに近い階級)だったことがわかる。
その後マーヴェリックは「別のアドミラルを怒らせて(モハヴェ)砂漠送り」になり(ペニーのセリフより)、ペニーはノースアイランドのバーを購入する。ちなみにバーの店名は”the Hard Deck”=「最低高度」。

トップガン マーヴェリック』劇中

201X年?2020年?(『TGM』)
『TGM』の物語本編。
マーヴェリックの倉庫にあるカレンダーの日付・曜日では、ある年の「22日火曜日」、試験機ダークスターのテスト飛行でマッハ9を目指すこととなっている。
前作『TG』の公開年=1986年から30年後以降(〜『TGM』公開年・月)で、この日付・曜日の組み合わせが該当する月を調べてみたところ、以下の通り。
2016年3月、2017年8月、2018年5月、2019年1月・10月、2020年9月、12月、2021年6月、2022年2月・3月
倉庫のシーンの冒頭では、ラジオから「今日は今年一番の暑さになりそうです」と言うセリフが聞き取れる。北半球にあるカリフォルニア州・モハヴェ砂漠が舞台なので、季節は日本でいう初夏〜真夏だと思われる。
以上を考慮すると、2017年8月か2020年9月のどちらか?
いずれにせよ、劇中では明確な年月日は明示されておらず、不明。

次の日曜日
上記カレンダーによると、マーヴェリックが「dinner with joe」の約束をしている模様。joeって…誰でしょう?

 

以上、時系列編でした。

*1:アメリカでの公開日。日本は同年12月6日