震災当日

(この日記は震災後しばらく経ってから書いてます)

昼食は大戸屋でとろろご飯等をいただき、明日は小崎と焼き肉でも行くか〜なんて平和なツイートをやりとりしていたところ、午後になって震災。

職場にいたのだが、揺れの大きさと時間的長さがかつて経験したことのないレベルで、出入り口の確保のためドアを押さえつつ、なすすべもなくしゃがみこんでいた。揺れの途中で照明が落ち、停電になったことがわかり、その後非常用の照明が点いた。

正直、職場のビルの耐震性能を信頼していなかったので、この揺れではもう建物が持たない、と思い、地震の最中に初めて死を覚悟した。

幸い建物は持ちこたえてくれた。職場の机やら資料は揺れでめちゃくちゃになったが、とりあえずコートを着て手荷物を持って屋外の避難場所へ。恥ずかしながらしばらく足は震えていた。

ちなみにこないだの地震後に入れた、iPhone地震通知アプリは今回全く役に立たず、思い切り揺れてる最中に「0秒後震度1」みたいな意味のない通知が来てた、確か。

外では周りの人たちも次々に避難してきていて、同僚らの大半は無事である様子でひとまずほっとした。その後も大きめの余震が続き、雪も降り出した寒空の下待機していた。同僚のワンセグケータイには地震に関する津波6mとか10mとか、にわかには信じられない情報が。

しばらく待機した後、ひとまず解散。

ちょうど原付が修理中でバス出勤していたところなので、徒歩での帰宅になった。道すがら、余震を感じながら、家屋に被害が出ている模様などを目撃する。途中、コンビニでは灯りの無いなか人々が整然と列を守って買い物していた。電気が止まっていても使えるらしい簡易レジのような機械で明るくお会計する店員さんたちを尊敬した。ジュース、保存食を若干購入して帰宅。

家族等には地震直後にメール送信を試みたものの実家からの物を除き返事はなく、日没を過ぎて暗い中帰宅すると家には誰もいなかった。電気も止まっていて灯りが無いのだが、懸念していた通り水槽が倒壊したらしく、リビングは悲惨な状況だった。しかし一通り片付けがなされていて家族がとりあえず地震の揺れを生き延びたことを確信、残されていたデジカメにも片付け途中の様子が写されていた。

しばらくして妻実家に行っていたという妻子が帰宅、取り敢えず生きて再会できてほっとした。地震の際はダイニングテーブル下に避難し無事だったが、水槽が転倒して中の水でリビングが水浸しになり、片付けが大変だったとのこと、想像に難く無いし申し訳ない。先日のレイアウト変更の際に揺れ対策はしていたものの、想定を遥かに上回る揺れになすすべなかった。魚は一カ所に集めてくれてあって生き残っているもののあったが、電気も水もすぐには復旧すると思えず、全滅必至だろう。無念。

電気も水道も無く携帯の電波も殆ど使えない中、車で最寄りの避難所に寄り状況確認。荒浜に2-300の遺体、という信じがたい放送を耳にし、事態の深刻さをあらためて実感する。街の方まで出てみるとネットが通じやすい模様。ツイッターに生存の報告。大変な状況らしいけど情報をあまり入手できない。

買い置きしてあったろうそくで暗い照明を灯し、暖もとれない中、多めに布団をかけて眠りについた。明日から震災対応で仕事をすることになりそう。

とりあえず、揺れは生き延びた。震災後の生活が始まった。