8ird watching「Finding Friends」全曲解説その2〜ガラス作りの歌(feat. ガンプマン, 傷彦, ryoh)〜

Finding Friends」の2曲目、「ガラス作りの歌(feat. ガンプマン, 傷彦, ryoh)」についてです。

以下、ボララスside。

まあ、タイトルだけでピンと来る方も多いかと思いますが、この曲は尾崎豊へのリスペクトをふんだんに盛り込んだ、ある意味トリビュートソングです。

そもそも、「ヒップホップを自分でやろう!」と考えた時、「せやかて、今更ソウルやファンクをディグってサンプリングしても、並みのDJ以上のことなんかできひんわな〜」と、最初から自暴自棄だった自分が、「でも、好きなことからなら、始められるやん。誰しも」と開き直り、中学生のときから愛してやまない尾崎豊のライヴ盤(初めて買ったCDアルバムでもある「LAST TEENAGE APPEARANCE」)から、「街の風景」の気だるく切ないビートをサンプリングして作ったのがこの曲です。カウントもご本人のライブ(「TEEN BEAT BOX」に収録の特典ディスク「Driving All Night (Osaka Baseball Stadium ON August 25th,1985)」)から拝借。

これに自分の弾くFender Rhodes、それから薄っすらtupliのアコースティック・ギターを重ねました。Pianoteqで弾いているフレーズはご存知「15の夜」のリフであります。なのでちょっとマッシュアップ風になっています。

尾崎豊ファン歴は長い(といっても彼が亡くなったのを機会に知ったのだけど)自分ですが、自らのミュージシャンとしての活動の中で、彼への敬愛を率直に語ったり自分の音楽に反映させたりすることはあまりありませんでした(例外としては、僕がザ・キャプテンズで名乗った芸名が、彼の名前をもじった「豊か」だった、というのがあります)。音楽好きの間で彼を話題にして、鼻で笑われたことさえあります。しかしこのトラックを制作することで、その辺りの「俺はやっぱり尾崎に影響を受けている!尾崎が好きだ!」という姿勢を明確にできたので、満足しています。

甘茶にもその辺りをざっくり伝え、リリックを書いてもらいました。ファンであればニヤリとせざるを得ない言葉が散りばめられ、「尾崎豊がもし夭逝せずに現代を過ごしていたら…そのフォロワー達は今…」のような空想に耽ることもできる、素敵なリリックをもらえました。

そして、ここからこの曲はさらにゴージャスになるのですが、3名のゲストに登場いただくことができました。

五十音順でご紹介しますが、1人目はガンプマンさん。実は全く面識がないのですが、埼玉熊谷モルタルレコードで何度か開催されている「尾崎豊ナイト」でも活躍されている方で、傷彦(ザ・キャプテンズ)の紹介により、この曲の要所に「あのMC」を吹き込んでいただけました(もちろん尾崎風に)。傷彦によると、ガンプマンさんご自身はこのセリフをご存知なかったとのことで、傷彦が「これだよ」とYouTubeにアップされていた動画を見せ、その場で憑依・録音してくださったそうです。そのクオリティは皆さんにもぜひCDをお手にとって確認していただきたい。ガンプマンさん、どうもありがとうございました!

そして二人目が傷彦兄さん。ザ・キャプテンズ時代から、兄さんとは尾崎トークができる間柄でした。現在は兄さんもガンプマンさんと一緒に「尾崎豊ナイト」で活躍しています。そんな兄さんに作りかけのトラックを送り、曲の後半に収録されることになる語りを録って送ってもらったのでした。最初はこの曲の二回目のヴァースには二人目のラッパーを入れる案もあったのですが、兄さんの語りの存在感がすごかったので、ここは語りをたっぷり聴かせて終えることに。内容も、甘茶のリリックとシンクロした絶妙なもの(そしてその世界観はまさに傷彦のものでもある)。最後にリフレインしている、兄さん流のパンチライン(「自由になりたく…」)も最高です。傷彦兄さん、ガンプマンさんの件も含め、どうもありがとう!

そして三人目がryoh(a.k.a. 黒崎さやか from 音昏)ちゃん。彼女とは、ここ数年グッバイボーイズの方でイベントで共演したりコラボしたりする仲ですが、実は尾崎好きという共通項もあったので、この曲をやるにあたってはやはり彼女に声をかけなければ!ということでオファーし、快諾をいただきました。トラックでは、冒頭から「街の風景」と語っているryohちゃんの美声をお聴きいただくことができます(ちなみにLがryohちゃん、センターが兄さん、Rが僕)。

というわけで、尾崎好きの友人知人(知人でなかった方も含め)の総力を結集してお送りしたこのトラック、尾崎好きな方はもちろん、そうでない方にも何かしら伝わる熱量を込められたのではないかと思っています。

ボララスsideは以上。

以下、甘茶side。

「なぁ、知ってるか? もう自動販売機の缶コーヒーは百円玉じゃ買えないけど、セブンイレブンのコーヒーは百円玉で買えるんだぜ。」

ぼくが尾崎豊を真剣に聴き始めたのは、27歳の頃でした。十代の教祖を10年遅れで追いかけたぼくは、どちらかというと彼を、「詩人」としてではなく「ロックンローラー」としてとらえています。たとえば、「自由っていったいなんだい?」って問いかけられても、ある程度、オトナになってしまったぼくは冷静に「自由っていうのは、その問いかけ自体をしないことじゃないかな」って答えてしまうから。なので、ぼくは尾崎の「What to say」ではなくて「How to say」に惹かれたってことですね。なので散りばめたフレーズは、どれもその「How to say」にノックアウトされたものばかり。

インターネットの功罪か、今や自由ってやつはソトじゃなくナカにあるって認識なんでしょうね。だから、現代のリアルは「家出」じゃなく「家で」なんだと思います。

なお、ぼくの一番好きな曲は、今回引用しなかった「ダンスホール」な模様。

以上。

それでは。