老害について興味・関心がある。

老害について興味・関心がある。

自意識過剰なのかもしれないけど、40歳を超えて、「自分が老害じゃないかどうか」が常に気になるようになった。10代になった我が子と接していても、最近特に意識することが多い。

今日読み終わった『お金2.0(著:佐藤 航陽)』でも引用されていたのだけど、イギリスの作家ダグラス・アダムス(『銀河ヒッチハイク・ガイド』の作者)の言葉、

人間は、自分が生まれた時にすでに存在したテクノロジーを、自然な世界の一部と感じる。15歳から35歳の間に発明されたテクノロジーは、新しくエキサイティングなものと感じられ、35歳以降になって発明されたテクノロジーは、自然に反するものと感じられる

…これって老害の発生メカニズムを端的に表している気がする。ここでいうテクノロジーは今でいうITとかに限らず、社会的に新たな価値観とかも含むと思います。

スマホで子供をあやす親御さんに対する子育て終了世代からのバッシング」とか、まさにこれじゃないでしょうか。そういう意味では、そのバッシングはある種自然の摂理とも言えるのかもしれないけど…(ちなみに自分は子育てにおいてスマホタブレットをめっちゃ活用してきました)。

というわけで、40歳過ぎたら初老だ(初老=「老人の域にはいりかけた年ごろ。また、もと、四十歳の異称」)、ということを肝に銘じて生きているつもりだが、人生100年と考えると、時代に取り残されて生きる時間の方が圧倒的に長いわけで、そう思うと結構憂鬱になるね。

ちなみに自分にとっての「15〜35歳の間に発明されたテクノロジー」といえば、2012年までのものということになるので、
Facebook(2004〜)
Twitter(2006〜)
iPhone(2007〜)
あたりがギリギリだったと言える。これらはナチュラルに「自分たち世代のもの」と思える。

ちなみに
Instagram(2010〜)
・LINE(2011〜)
あたりは、身の回りで普及し始めた時期もあわせて考えると、まさに35歳を過ぎた頃のテクノロジーで「ちょっとキツい」と思ってしまうのが正直なところ。使ってはいるけど。

さらにその後に現れたサービス・テクノロジーについては、意識的に取り組んだり勉強したりしないとついていけない感が既に強い。なんというか、スムーズに楽しめない。

でもそれだと、下の世代(つまりこれからの社会を作っていく世代)の感覚から、どんどん取り残されていくっていうことなんだよね。

がんばっていきまっしょい