弦内・ねぎしナイト実行委員長 座談会(2003年)
突然ですが、2003年に採録した、弦内メンバー(ただし全員ではない)とねぎしナイト実行委員長=ボララスとの座談会の模様を、ここでご紹介したいと思います。
当時は、ねぎしナイトレコード発足直後で、ウェブ上のコンテンツを増やしたい…という意欲が強く、弦内にオファーして座談会の場を設定したのですが、採録したまま公開の機を逃し、それから早15年の時を経て当時の音源を発掘し、今回ようやく日の目を見ることになりました。
今になってみると、既に当人たちも覚えていないような貴重な証言が数多く含まれており、弦内ファンの皆さんには読み応えのあるものになっていると思います。
なお、2ndアルバム以降の音源はbandcampで試聴いただけますので、文中のリンクなどからぜひ聴いてみてください。
なお、以下の文中、(注:)とある赤字部分は、2018年現在の弦さんによる補足説明です。
弦内・ねぎしナイト実行委員長 座談会(2003年)
日時:2003年5月17日 19時頃
会場:あべひげ(仙台市内某所)
実行委員長(以下、「委員長」):今日はバンド「弦内」のリーダー、弦さんにお越しいただきました。
弦さん(以下、「弦」):よろしくお願いします。
委員長:今日のテーマとしては、弦内の自己紹介、結成からの沿革、ライブやアルバム…3枚出ていますが(※インタビュー当時。以下同様)その制作エピソード、そして今後について、お願いします。
<弦内の沿革〜1stアルバム『自堕楽』について>
弦内1stアルバム『自堕楽』
委員長:ではまず、自己紹介をお願いします。初めての方に読んでもらうつもりで。
弦:弦内のベース兼リーダー、金谷弦です。ボーカルのうっちー(内田賢)とは、弦内を結成する以前から長いこといろいろ一緒にやってきたんだけど、(音楽的に)欲求不満がたまってきて(笑)。当時やっていたあるバンドに、オリジナル曲のデモテープを持っていったことがあったんだけど(※1枚目のアルバム『自堕楽』に収録されている「Moonlight song(M-4)」)、そのバンドのドラマーは、デモ曲のドラムフレーズ(注:バスドラがちょっと変なパターンでした。今思えば、いくぶん申し訳ない課題設定であった気がします)を叩けなかった。その方には難題だったようで、であれば…と、形にすることを優先した結果、うっちーと二人でレコーディングユニット(=弦内)を結成することにしました。
委員長:それはいつ頃?
弦:1999年、修士論文を書いた後の3月、に始まりました。
1枚目のアルバム『自堕楽』は、(ドラム等は)全部打ち込みで、僕がギターを弾いてベースを弾いてコーラスを入れて…とやっていたんだけど、やはり…あまり上手じゃないし、引きだしも少ないので(笑)。「こんなのはいかん」と。一人で頑張ったなぁとは思うんだけど。そういう曲たちが『自堕楽』に収められているんだけど、少ないテクニックを圧倒的な録り直しテイク数で強引に飛び越えようとした、けど飛べなかった、ものでした。
委員長:ミュージシャンとしては、完全に二人(弦さんと内田さん)でやっている?
弦:そう。しかも下手だったから、レコーディングに(むだに)時間がかかりました。
委員長:当時からレコーディングは弦さんが100%主導権を握って?
弦:そうですねー。そういう、ちまちました作業好きなので。
委員長:Wild and innocentさん(※内田さんが在籍したバンド)の演奏も入っていますね(「Secret Rendezvous(M-10)」)。
弦:それが一番(アルバムの中で)良いんじゃないかっていう。ちなみにその曲を録ったのはさらに3年くらい前(注:1995年か1996年。大学三〜四年生です)。それが一番良かったというのはどういうことだ、なんなんだ、と思いますね(笑)。
委員長:のちのちバンドアレンジされる「Yellow feels forever(M-6)」とか、そういう曲も詰まってますね。
弦:実行委員長は弦内のバンドに一時期いたからねー。
委員長:僕が覚えているのは、いつだかのジャズフェスのときに、内田さんが勾当台公園に風呂敷か何かを敷いて…敷いてなかったかもしれないですけど、音源を売っていましたよね。あれが、だから1999年…。
弦内1stアルバム『自堕楽』を販売する内田さん。1999年の定禅寺ジャズフェスにて。
(ここでパーカッションのやちさん登場)
やちさん(以下、「やち」):どうもどうも。
委員長:今、バンドの沿革を追っていたところなんですけど…(弦内の結成当初のメンバーに加えて)今もドラマーとしてやっている松岡くんと、東京に行ってしまったギターの僚くん、それと僕(実行委員長)が鍵盤で参加しての活動が始まったのが…。
弦:2000年の夕涼みコンサート(注:仙台七夕祭りの前夜祭的に勾当台公園で開催されていた野外ライブ。アマチュアバンドの出演枠有り)に向けて、春から夏あたり。
委員長:結成から1年くらいで、メンバーは集まっていた。
弦:当時、メンバーを一応「お手伝い」という形にしていたのは、僕とうっちーが自分たちに自信がなかったので(笑)。正式メンバーということにしていなかった。
委員長:あのときは「弦内エレキテル番長」という名前にしたりして、弦内+αという形でやっていましたね。僕は自分のバンド(グッバイボーイズ)もあったので、サポート的に数回だけやって、その後僚くんと松岡くんはメンバーとして定着した、と。そしてやちさんがメンバーになった時期が…。
弦:忘れました(注:このセリフは、インタビューをよりドラマチックに展開するための演出です)。
やち:2001年1月。サークルの定演でやったとき。
弦:やちくんとしては忸怩たる思いがあったわけです(注:忸怩たる思いをさせた張本人が言ってよいセリフではない)。
やち:その前も、正式加入前に、あべひげライブなんかではパーカッションでお手伝いをしていました。
弦:「なんでこんなに長く一緒にいるのに、俺がドラムで誘われないんだ」と(笑)(※弦さんとやちさんはサークルの同期)。
やち:そういう、不貞腐れていた時期があった。夕涼みコンサートとか、2000年のジャズフェスとか。俺はどっちも見に行ってない。ジャズフェスのときなんか、仙台から逃亡していた。
弦:やち君冬の時代。
委員長:2000年秋のジャズフェスでしたっけ?僕が出させてもらったの。
(ここであべさん(※座談会会場「あべひげ」のマスター)登場)
あべさん:何を、みんなで、そんな?!
弦:座談会です。
あべさん:おもしれぇな…。
(あべさんフェードアウト)
弦:やちくんを起用しなかったことについて弁明させてもらうと…こんな爆弾発言しちゃだめかな(笑)。「やちくんでやるなら、打ち込みでやってもあんまり変わらないんじゃないか」と。
やち:わはは(笑)。
弦:どちらかというと、やちくんは言われたことを忠実にこなすタイプなので、僕としてはもっと、爆裂した人がいたほうが、リズム隊としてはいいんじゃないか、と。
委員長:それは…やちさん冬の時代には、そのことをやちさんには告げていたんですかね?
弦:多分告げてたとは思う…んですけど。
やち:はっきりとは聞いていない。理由は聞いてない。だから俺も「なんで使わないんだ」とは言わなかった。一人で悶々としていた。バンドだと松岡をドラムに入れて、あべひげでやるときはパーカスで俺を呼んだりして。すごく「都合のいい女」みたいな。うまく…おいしいところだけ使われて、あとバンドでやるときはポイ、みたいな(笑)。
委員長:はいはいはい。2001年の夕涼みコンサートでも、そのときちょびっと僕が(サポートに)復活したのですが、やちさんがドラムでしたね。あれは、松岡が出られないときだったから…。
やち:都合がいいよね。本妻が出られないときは愛人を呼び出して「お前が一番だよ…♡」みたいな。
弦:「お前だけだよ…♡」みたいな、ね。例えるならば、やちくんは、先発もできれば中継ぎもできるし抑えもできる。けど年俸が安い、みたいな選手なのです(注:中日ドラゴンズの落合(元)監督は、ユーティリティプレーヤーをうまく使って、幾度もセリーグの覇者となった。そのような方々の地道ながんばりに、組織というものは助けられているのであった)。
やち:そうやってまた言いくるめられるんだよな。
委員長:でも呼ばれたら弦内には参加したい?
やち:もう僕は、弦さんと内田さんとバンドがやりたい(笑)。
弦:ここの人間関係がこの座談会の核心になってるね(笑)。
<2ndアルバム『ひまじん』>
弦内2ndアルバム『ひまじん』
委員長:そういったメンバーを迎えて、2枚目『ひまじん』の制作に入るわけですね。
弦:このときは僚君、松岡、やちくんがまだメンバーではない。サポートになっている。実は(音源は)すごい昔にできていたんだけど、このときにある悲しい事件があって、MTR(マルチトラックレコーダー)が故障した(※事件の詳細については諸事情により割愛)。MTRのメーカーであるところのKORGに修理の見積もりに出したら、サポートセンターから電話があって「ものこぼしの疑いが強い」と言われて(注:修理代金はほぼ購入金額と同等+αであり、ビンボーな私は激しく凹んだ)。
委員長:リリースはいつですか?
弦:2000年リリースですね…もっと後かと思ってた。サポートとしてメンバーを迎え、打ち込みのドラムに、やちくんのパーカス。僚くんのギター。
委員長:松岡は入ってないんだ。こないだ聴いたけど、松岡のドラムのつもりで聞いてた。
弦:ドラムの打ち込み頑張りました。僚君のギターも2日間で全曲録ったり(注:打ち込みってとんでもなく時間かかります。多分、叩いてもらえばすぐなのに)。
委員長:過渡期の作品なわけですね。
弦:毎日酒飲みながらがんばってました。はい。
<3rdアルバム『ひばり』>
弦内3rdアルバム『ひばり』
委員長:そして、冬定(サークルの定演)、夕涼みコンサートを経て、初めてバンドで本格的にレコーディングしたのが3rdアルバム『ひばり』ですね。1年半開けて3枚目が出ている。気の長い制作活動ですね、結構。
弦:バンドでがんがん1年間くらいライブ活動をやって、その後まとめたって感じでした。
委員長:これは今聴いても、バンドの勢いが成熟していて、CDからその勢いが出ていますね。クレジットにも5人の名前が入っている。
弦:このアルバムはかなり、バンドだけ。鍵盤とか入れていない(注:鍵盤を入れてもらうだけのココロの余裕がありませんでした)。
委員長:これは(サークルの)部室でだいたい録ったんですか?
弦:そう、全部部室です。
やち:パーカスはあべひげでです(注:営業前のお店に機材を持ち込んで、録音をさせてもらいました。あべさん、本当にありがとう)。
弦:使ったマイクが、部室にあるSHURE SM58と自分で買ったAKGのD3800だけなので、コンデンサーマイクのいいのが欲しいなー、という気がする。
委員長:あれば変わってくるかも。こないだ三浦(※バンド「ミウラドライブ」のリーダー)に僕のコンデンサーマイクを貸したら、「高いだけある」って言ってた。
弦:買っちゃおうかなー(※このあと弦さんはAKG C3000を購入)。コミュニティでみんなが持つとさ、使いやすいよね。(以降、しばらくマイク談義)
委員長:やちさん、3枚目の思い出はありますか?
やち:思い出?んー、なんかあんまり…無いかな(笑)。俺の思い出は特に…1日で終わったから。
弦:ただ、ジャンベのマイキングを、最初上から録ったら皮の音だけになって、ボンゴの音みたいになって。下から録ったらジャンベっぽい音になった。マイクの立て方って大事なのね…。
(注:ジャンベはあべひげに昔からあったものを、貸してもらって録りました。あべひげが無くなる時にジャンベはやちくんが受け継いだのですが、現在は経年劣化で皮がやぶれてしまいました。あの時の音は、今ではもう聴くことができません)
やち:あと、いろんなパターンを叩かせられた。
弦:MTR内でジャンベループを作ってみようと思って、それで叩いてもらったら結局使えなかった。ジャンベは違うパターンで5・6個重ねたらアフリカ民族音楽になるかなと思ったんだけど、実際やってみたら「ただ単にバラバラに鳴ってるジャンベ」だけになって、やめた(笑)(注:私にセンスと技術がなかったということでした)。
委員長:実際パーカスはいくつか重ねてますよね。
弦:3トラックくらいは(パーカスに)あげてる。
やち:3つ4つは重ねてる。「ひばり(M-3)」とかが一番重ねてる。
委員長:そうだなあ…このアルバムはとにかく、バンドの良さが出ていると思う。
弦:反省点としては、音を厚くしすぎて何が何だかわからないっていうか…もっと薄くてもいいんじゃないか、と。僚君はライブではいい加減だけど(笑)、レコーディングになるといろいろ、3本4本(ギターを)考えてくるんで。それを丁寧に録って重ねてます。
このレコーディングで一番苦労したのは、「四月になれば(M-4)」の僚君のスライド(ギター)の音。ピッチが合わなくて…。
委員長:それはプレイ的に?
弦:プレイ的に。スライドギターのピッチが合わなくて何度も録り直して、スタジオでココロが折れそうになっている僚君を何度もはげましました(笑)。あと「戦う女(M-9)」のギターソロは、スライドと普通のを2小節おきに出てくるのを全部別録りした(ので、とても大変)。一本のソロを2小節ごとくらい別トラックに録って、あとから違和感なく編集しています(注:当時はPC上での作業では無かったので、色々と大変でした)。
<次回作(4枚目のアルバム)について>
弦:これまでの話を踏まえて…今度の作品(4枚目)はすごい。何がすごいって、ドラムは殆ど1テイク目。8曲のレコーディングが3時間で終わった。
委員長:141(※仙台市内の商業ビル。音楽スタジオがある)で録った松岡君のプレイですね。
弦:ボーカル、これは完全に1テイク。うっちーの自宅で録っている(注:古びた木造アパートの一室で窓を閉め切り、周囲のお宅の不在を慎重に確認した上でのレコーディング。録音時は扇風機も止めているため、夏は灼熱である。数テイクが勝負)。
委員長:自宅で録ってるってすごいですね。これのリリースが?
弦:ジャズフェスを予定。
委員長:気が長いですね。一応僕も参加させてもらう予定で、夏ぐらいには。(※このあと弦内は4thアルバム『エレクトリック・シミジミ・バンド』を2003年8月にリリース)
弦内4thアルバム『エレクトリック・シミジミ・バンド』
(一旦トイレ休憩)
(注:何度も何度もかよった、あべひげである。店の奥の狭いトイレに、いつもそこはかとなく漂っていた独特の匂いも、はっきりと思い出せる。もうこの世界のどこにも存在しないけれど、いつだって思い出せる)
弦:曲を作る上で「これはやっちゃいけない」という、テーマがあって。「歌詞に英語を使わない」。和製英語は…許可する。昔、冠二郎という演歌歌手が、演歌なのにサビで「アイ、アイ、アイライク演歌〜」とカタカナで歌っているのを聞いたときに、結構感動して…カッコ悪さに感動した。カタカナで書く。ローマ字はいけない(注:「炎」by 冠二郎 はとてもかっこいい曲です)。
弦:曲作りのタブー第二弾。「妻や子供が素晴らしいと言うような、そんな曲は断固として作らない!」。切ない歌を作る。コサキ(コウヘイ)には負けない!
(注:そんな私も、実際に妻ができて子どもができたら、あっさり変節しました)
(注:コサキ君は、仙台で活動中の歌うたい。いい曲書きます)
委員長:(弦内のCDの)オビの紹介文に「女々し系」という言葉を堂々と使ってもいいんでしょうか?
弦:いいです、女々し系です。ただ、コサキには女々し度は負けるなー。
やち:弦内はちょっと強い、強がってる。
弦:コサキの「爪」とかって曲を聴くと、あいつの女々しさに感服しちゃって、俺はまだ自分の女々しさを出し切っていない、自分の暗い部分から目をそらしてしまっている
(笑)。
(注:このあと、結局女々しさ出し切れずにおわりました)
やち:もっと暗いところ、恥ずかしいところを出さないと(笑)。
委員長:確かに、「爪」とか、あと最近(コサキコウヘイが)ひとりライブでも「一人暮らしのバラッド」とかやるじゃないですか、あの辺をレコーディングして出そうかって話もあるんですけど。
<今後について(※2003年時点)>
弦:あと今後ですけど、あまり決まってないですけど…。
委員長:とりあえず、レギュラーメンバーになった僚君が(仙台から)いなくなってしまったので、レギュラーとしての活動はなかなかできない状況ですよね。
弦:8月に、AER内にあるホールでワンマンライブやろうと思ってます。
やち:それ、やるの。
弦:僚君はやる気満々。最悪、赤字分は自腹切る覚悟で。AERの5階、6階かな?1,500人くらい入る巨大な会議場があるんだって。そこを知り合いが抑えてくれて…昼間別のことをやって、夜空いてるからどう?って。1,500円で150人。動員できるバンド3つとかにして、一緒にやるってのもあるかなと。100人は余裕だと思う(※この後、2003年8月10日にワンマンライブ「十中八九弦内」が開催された)。
(注:あんな長いステージよくやったよなぁ、という感じです。当時の人脈全てを動員して(笑)、来て頂いたみなさん、ありがとうございました。ほんとに)
弦:弦内については…こんなもんでいいですかね?
委員長:ありがとうございました。
やち:俺は…やっぱりさ…。
委員長:どうもありがとうございました。
(了)