8ird watching「Finding Friends」全曲解説その0〜8ird watching結成秘話編〜

僕が今年の夏に結成したラップ・ミュージック・ユニット、その名も8ird watching(バード・ウォッチングと読む)。今日から数日にわたってこのユニットとその初音源「Finding Friends」について解説します。

メンバーは、僕ことボララスfromグッバイボーイズが作曲〜トラック制作と一部MC(その際は「ぼ the MC」と名乗ります。チェケ。)、歌を担当。そして相棒となるのが多才な男・甘茶茂(あまちゃしげる)。彼がメインMC(つまりラップの大部分)、作詞、さらに一部作曲〜トラック制作にも寄与するという分業制です。

以下、ボララスsideと甘茶sideとを併せてお送りします。

まずはボララスside。

そもそも、グッバイボーイズの「サンセット・サンライズ」を作曲した際に、甘茶にリリックとラップを依頼したのが彼との初コラボだったのですが、なぜその時点で彼に頼もうと思ったのかはいまいち記憶に定かではありません。ねぎしナイトに出演したどろんこ教室でラップしてたんだっけ?よく覚えていないのですが、自分の中では「ラップを頼むなら彼しかいない!」という感じでした。とにかくそのコラボがきっかけで一緒にライブすることがあったり、楽しくお付き合いさせてもらって、そして今年の夏、にわかに自分の中でラップ・ミュージックへの憧れが募り、その勢いで結成したのが8ird watchingです。

最初は「Hip Hop」と名のつくサンプリングCDをいくつか買い込んで、それに収録されたドラムループ(や他からもってきたサンプル)と自分の弾く鍵盤とでトラックを作り、甘茶に送りつけてラップを入れてもらう、という作業から始まりました。それと平行して、自分に足りないラップ・ミュージックの知識を読書(ヒップホップ初心者向けの本)で補い、一枚も持っていなかったヒップホップのCDも中古やレンタルで聴き漁るという行為も進めました。それが今年の7月。まさに付け焼き刃。

8月1日、ユニット名が8ird watchingに決定。ご存知(かどうかわかりませんが)、僕の趣味であるバード・ウォッチング(特に撮影)を元ネタとしつつ、ヒップホップ風の綴りにしています。制作していた曲との兼ね合いでいうと、『双眼鏡で Missing Friends や尾崎が追い求めていた自由ってやつを探している、という意味にもとれますしね』とは甘茶の談。

8月2日、早速ロゴができました(もちろん甘茶作)。ソー・クール!

そうこうしているうちに収録曲が固まり、結成から早くも2ヶ月に満たない9月8日に初音源「Finding Friends」をリリースすることができたのでした。

ここまで、僕と甘茶は一切会っていないし、Skypeとか電話で話すといったこともしていません。全てはFacebookのメッセージを通じて行われました。ここは素敵なインターネッツですね。

さて、長くなったので収録曲の紹介は明日以降にしたいと思います。
それでは。

以上、ボララスsideでした。

続いて甘茶side。

#はじめに
ぼくにとっての「日本語ラップ」との出会い、それは、バンド「漂流教室」のメムバーである元内そうやが帰省の際持ち帰ってきた一枚のCDでした。2000年にオープンしたディスクユニオンお茶の水インディーズ館が限定で無料配布したというコンピレーション。そこに収録されていた THA BLUE HERB の「ONCE UPON A LAIF SAPPORO」は、ぼくがこれまで小耳に挟んだ日本語ラップ・ミュージックと全然違っていたんですね。フロウもリリックも、そのアティテュードも。THA BLUE HERB の本拠地である札幌同様、仙台もまた、「東京ではない」どこかのひとつであり、当時仙台だけが世界だったぼくにとっても、もしかしたら何か煽られるものがあったのかもしれません。とはいえこの時点では、物珍しい尖った音楽の一つという位置づけでした(真似できるようなものでもないし)。
※余談ですが、同じくこのコンピに渚にて「本当の世界(Live)」も収録されており、これまた音楽的に大きな影響を受けます。

そして、2002年に上京したぼくは、就職先の同期・DJ Yudetaro と出会います。クラブカルチャーに詳しい彼に「HIPHOPだったら、ブルー・ハーブくらいは聴いているよ」と言うと、降神のファーストアルバムを貸してくれました。これが決定的で、志人の言葉を踊らせながら高速で畳みかけるスタイルにすっかり引き込まれていき、ようやくラップという表現法をジブンゴトに捉え始めた気がします。

「石の上にも3年」持たずに2人とも無職になった後も、あいかわらず DJ Yudetaro はよくうちに遊びに来て、そのたびにヒップホップをはじめとしたクラブカルチャーについて教えてくれました。Kダブシャインのライミングの革新性、ディスやビーフ、MC バトルというカルチャーを知ったのもその頃です。

ここで一見、横道に逸れるような、でもターニングポイントとなった話をします。それは、あの震災後のこと、音楽仲間であった DJ Yudetaro との文学サークル「おおきなかぶ」の結成です。もともと誰に読ませるわけでもなくこっそり小説を書いていた DJ Yudetaro の背中を押すべく、「ぼくが装丁やるから、文学フリマで発表しようぜ」と声をかけたのが始まり。「どうせ出すなら、ぼくも小説でも書いてみるか、ついでに、石原ユキオさんに感銘を受け、興味があった短歌でも詠んでみるか」と、貧乏性のぼくは考えたわけです。

まあ、小説の話は置いといて、ここでポイントとなるのは、短歌。短歌は、義務教育で学んだ乏しい知識によれば、「本歌取り(引用)」「掛詞(ダブルミーミング)」「韻」があって、読み上げもあるじゃないですか。そう、ご想像の通り、当時のぼくは「短歌ってラップじゃん」って考えたんです。そこで、K-DUB SHINE のスタイルを取り入れた短歌に挑戦してみたんですね。なお、あとで知ったのですが、現代短歌はそういうもんじゃないらしく、ぼくの腕が稚拙なこともあって、まったく歌人の皆さんの輪に入れませんでした。さびしい……。

というわけで、短歌を通じてリリックとライムに慣れたぼくは意識的にラップを自分の音楽で活用するに至りました。もともと桑田佳祐フォロワーでもあり、「意味より語呂」派なので、昔から頭韻・脚韻はふんだんに散りばめていたのですが、それは桑田流のいわゆる「でたらめ英語」での仮歌からの自然派生として説明がつくもの。さらに、ラップ・ミュージックにおけるリリックとライムには、それ以上の機能性があると、ぼくは考えます。それは、言葉の力によって、音楽を加速させること。ギターの速弾き同様、機械的な母音あわせで高速ライミングをすればかっこいいというものじゃないんですね。フランク・ザッパのギターソロがたとえ音符的にはそんなに速くなくとも、ものすごい加速度を持つように、リリックとライムは音に、音符を超えたスピードをもたらすんです。

逆に言えば、スピード感さえ実現できれば、韻なんて踏まなくてもいいと思っています(ブレーキをかけるライムさえある)。実際、かせきさいだぁさんは、そのリリックの切れ味、特に、その語源である「叙情」でもって、超音速を実現していますから。そういう意味でも、日本語ラップの革命児として、ライムは「Kダブシャイン」、リリックは「かせきさいだぁ」という語られ方をしてしかるべき、というのがぼくの主張です。

と、それくらい、かせきさいだぁさんには公私ともども(スケートボードなど)影響を受けているのですが、詳しい方は「甘茶茂のラップのどこにかせきさいだぁ要素が?」と首をかしげるかもしれません。でも、それは、かせきさいだぁさんの教え「ヒップホップはスタイル・ウォーズ。自分だけのスタイルを磨くもの。まねごとではダメ」に則っているから。つまり、かせきさいだぁさんのスタイルを踏襲することは、かせきさいだぁさんのスタイルから最も遠いことなんですね。

というわけで、長い前置きをこのあたりで終え、8ird wsatching の初作品集『Finding Friends』の全曲解説に移りたいと思います。

以上、甘茶sideでした。

明日から『Finding Friends』全曲解説をボララスside・甘茶side併せて掲載します。